初めての電報は明治時代! 電報の歴史
遠く離れて暮らす人へ贈るお祝いやお悔やみのメッセージとして知られる電報は、携帯電話やインターネットが普及する今も変わらず親しまれるコミュニケーション手段の一つです。
今から140年以上前、国内で初めて電報が用いられた当時は、家族や親類の危篤などを知らせる緊急連絡手段として用いられていました。時代の変化とともに、伝える内容や表現方法はどのように変化を遂げていったのでしょうか。
電報っていつから始まったの?
1869年(明治2年)、東京・横浜において国内初の電報サービスが開始されました。もちろん、電話が普及するよりもずっと前の時代ですから、遠く離れた人にメッセージを伝える手段として大変重宝されました。
現在のものと比べ、通信網も通信技術も未熟であった当時は、「トン・ツー」の電気信号を組み合わせて交信を行う「モールス信号」を電報局の担当者が解読し、それを文章に起こし宛先へ配達する方法が採用されていました。
また、文字数に応じて料金が決められていたため、出来るだけ短い文で確実にメッセージが伝えられるようさまざまな工夫がされていたのです。例えば、受験の合否を知らせる電報では、「サクラサク」、「サクラチル」など、ちょっと変わった文面が記載されていました。
明治~平成の変遷
1873年(明治6年)には東京から長崎まで利用範囲が拡大、1875年(明治8年)には全国で電報サービスが利用できるまでに発展しました。その間、郵便局で直接申し込みができるようになりましたが、現在のように電話の受付が始まったのは、1890年(明治23年)になってからのことでした。
その後、1922年(大正11年)には、メッセージ作成にタイプライターが使用されるようになり、昭和に入ると、写真入りのメッセージや台紙付きの電報の取り扱いがスタートし用途がさらに広がっていったのです。
日本で最も電報が利用された時期は1963年(昭和38年)頃と言われており、年間9,400万通以上の電報が贈られたんだとか。用途別に見ると、利用全体の8割前後が冠婚葬祭以外の一般的な連絡事項でしたが、昭和47年を境に、冠婚葬祭での利用数が一般的なものを上回ったのです。
電話やインターネットの普及に伴い、電報の利用数は減少傾向にありますが、平成23年には年間1100万通あまりの電報が贈られています。用途別では、冠婚葬祭用での利用が圧倒的に多くなっており、多様なシーンに対応する台紙やプレゼント付きの電報なども普及しています。
海外の電報事情
電報は海外でも利用されています。一方、サービス利用者の減少に伴い、電報サービスの廃止を決めた国や地域も少なくありません。 日本よりも前に電報サービスを開始していたアメリカ、インドでは既に電報の取り扱いが終了しています。いずれも、距離に関わらず安く、早くメッセージを伝える携帯電話やメールの普及が影響しているからです。